Aoton-Blog

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高校3年間を雑に振り返ってみた

3月31日

身分上の高校生としては今日が最後になります。

 

2022年の振り返りはその年の12月31日に書いたのですが、2023年末が多忙だったので書けていないままでした。

と、いうわけで高校生が終わるこの日に、2022年も含めた2021年4月1日~2024年3月31日を総まとめで雑に振り返ってみました。

 

結構黒歴史です。では、行きましょう。

2021年

(2021/4/1~2021/12/31)

~大偉業と大失態、後の命運を悪く決めた一年間~

説明:高校生期間に入る少し前、YouTubeにて「風呂メロ」の新版を投稿しました。現在では70万回以上再生される大ヒット作で、登録者1000人達成の決定打ともなり大偉業でしたが、一方で高校生活自体は大失態&大損失だらけ。結果的に、その後の失態を取り返す残りの二年間が無事始まってしまったのであった。

主な出来事
3月(入学前):風呂メロ新版投稿。唯一の偉業。
4月:高校入学。マウント取りすぎて孤立開始。
6月:エンカ事件。Xでは大量ブロックされる。

感想:コ○ナによる制限が多かった年であり、陽キャでも楽しむのが難しかったと言えばそれまでではありますが、それはそれとして自身の大失態だらけなのも事実。この反省を明日から始まる新生活に活かして良いものにできれば、というのが願いです。

2022年

(2022/1/1~2022/12/31)

~地獄の遠足と最強の修学旅行、どちらもあった年~

説明:2022年4月下旬にあった遠足では、変な班分けになったことが原因でただでさえ少なかった友人を一人失い、本格的孤立状態になってしまう。もはや高校に対する感情はザ・諦めムードだったが、最強の修学旅行OKINAWAにより、孤立は変わらずともモチベを繋いでくれた。そして、この年の年末「ぼっち・ざ・ろっく」にハマる。

主な出来事
4月:地獄の遠足(鎌倉・江ノ島
12月:修学旅行(沖縄)

感想:高1の大失態もあり、そして本格孤立も始まり、最も辛かった時期でした。(高1と高3時の担任も「教員辛かった」と最後話しており、思わず共感してしまった)
しかしながら、部活や中学時代の友人の助けと、思い出に残った修学旅行もあり、なんとか逃げ出さず高校生活を続けることができた、そんな1年間でした。

2023年

(2023/1/1~2023/12/31)

~高校最後の一年間、そして大きな転換点に~

説明:3年生になり、いよいよ最後の一年間がスタート。高1時の担任に戻り、そして別クラスだった最後の友人とも同クラに。ある種では、高校3年間で一番辛い時期もありましたが、時にはぼざろや友人等に救われた時もありました。

主な出来事
1月:京都旅行
7月:山形遠征

感想:最後の一年間。ここまで来ると、記憶に新しい範囲に入りますが、あのクラス替えの感動から一年経つことが驚きです。正直、学校には色々くそな思い入れの方が多く残っていることは事実で変えることはできません。しかし、あのクラスだったからこそ自分は無事卒業できたのだろう、この事実は忘れてやらない。

2024年

(2024/1/1~2024/3/31)

~グランドフィナーレ~

説明:最後の三か月間。色々激動な年の始まりでしたが、親戚との再会、そして高校との別れ。新たな生活の成功を願い、この説明の〆とします。

主な出来事
1月:この月の31日を持って定期登校が終了。
3月:高校卒業。初の本格一人旅(事実上の卒業旅行)。(前編/後編

感想:3月8日に高校卒業。そして、31日。身分上の高校生も、終わります。中学の頃に考えていた高校生像や将来像とは大きくズレが生じた、いやズレで済んだらまだいい方で、正直全く違う、別物と言っても過言ではないほど思っていたのとは異なりましたが、それでも、少しでも成し遂げたことがあるのであれば、自分的には、良かったのかなとも思います。決して3年間最高!!!とは言えないのが悲しいところですが、それはまた次に繋げられればいいじゃないかというわけで。

 

総評:新生活の成功をひたすら祈ります。そして、この失態を忘れずに、明日から頑張りたいと思います。

2024年3月31日
Aoton

関西旅行2024春記録(後編)

前編

3/20(水)

この日は祝日であることを活かして地下鉄一日券の「エンジョイエコカード」を購入。

親戚宅が地下鉄沿線なのも助かります。

以前から乗車してみたかった「ニュートラム」に乗車。

早速地下鉄ではない乗り物に乗車していますが、「エコエンジョイカード」は地下鉄の他、このニュートラム大阪シティバスに乗車することもできます。
※一部対象外路線あり。

地下鉄以外にバス等にも乗車できて、土日祝は620円(平日は820円)とお得です。
東京の場合、東京メトロの24時間券が600円とこちらの方が安いですが、会社が異なる都営地下鉄には乗車できませんし、当然都営バスに乗車することもできません。

同じ公営という点では「都営まるごときっぷ」(700円)が地下鉄、舎人ライナー、都電荒川線、都営バス等に乗車できるため大阪メトロの切符に近いですが、都営地下鉄の路線網が大阪メトロよりも狭く土日祝は80円高いことを考えると、大阪の方が安いようにも感じます。(行先や使い方にもよりますが)

そんなこんなで終点のコスモスクエア駅で中央線に乗り換え、さらに本町駅御堂筋線に乗り換え江坂駅まで。この江坂駅までが大阪メトロの区間です。

3月22日を持って定期ダイヤでは消滅した「千里中央」幕も記録しました。
3月23日以降は北大阪急行の延伸に伴い「箕面萱野」行きとなっています。

江坂駅から歩いて十数分。来た場所とは・・・?

ミスドミュージアムです()

リニューアルオープンから数日だったということもあり、大盛況でした。

で、ずっと気になっていたのがコレ。
「わたしのミスタードーナツショップ」コーナーです。

全国のミスド店舗が店名&写真で掲載されているという、何気に凄いコーナーです。
このような展示+2階のおそうじ館がありながら入館料無料(体験とかは流石に有料ですが)なので、それも相まって普通に凄い。

リニューアルで設置された新コーナーも一応。と言いつつも、こちら側は人が多すぎてじっくりは見れていません。。。

店舗掲示のコーナーに戻ります。

1号店は箕面。実は、ここからそう遠くない距離の場所に有ります。
後で行ったんですけどね(爆)

2号店京橋(2019閉店)、3号店香里(2005閉店)、4号店西大寺…と続きます。

色々気になるショップはあるのですが、まずは地元のショップから。

1447号店 イオンモール北戸田

いや~今と全然違いますね。参考までに現在の様子。

「ん?全然ミュージアムにある写真と全然違うぞ?」と思う人も多いでしょう。

実はミュージアムに掲載されている画像は2000年開業当時の画像(だと思われる)なのですが…こちらは2003年12月31日限りで一度閉店しています。

と、いうのも元店舗である旧・「ジャスコ北戸田店」が同日に閉店し、建て替えたのち2004年11月に再オープンしたワケです。

ミスドもその際に2代目店舗として再オープンし、何度か改装を重ねて現在の店舗像となっています。イオンの中にあるお店にも歴史あり。

続いて、他のショップも見ていきましょう。

このあたりは初期店舗。

といいつつも、撮影年代に差があるのかデザインがマチマチ。

このあたりはおおよそ80年代。ここまでくると開店当時に撮影したものが使用されているのか、デザインにも一貫性があります。

こちらは90年代。ちょっと前まで普通に見かけることのできたデザインが出てきます。

・・・と、こんな感じで最新店舗まで続きます。

掲示されている最後のショップは「アピタ代田橋」で2061号店。

累計店舗数は2000を超えており、この半世紀で如何に店舗が出来たかを示しています。

その横にはこんなモノも。

各ショップの店舗番号や開店年月(閉店した場合は閉店年月も)が検索できる端末が置いてあります。

浦和よりも北浦和の方が9年早く先に出来たのか…!とか分かります。(だからなんだという話ではございますがw)

でも浦和(東口の方)が82年からあるのは凄いですね。

個人的にこのあたりにオープンした店舗の外観がとても好みです。

と、店舗についての記述はこのあたりにしておいて・・・(別記事にまとめるかも)

こんな感じに歴史が書かれたコーナーや、

イヌとライオンが一緒に鎮座しているコーナー。

歴代のグッズが展示されていたりもしました。

でやっぱり80年代の店舗は如何にもバブリーだったり。

でなんだかんだ時間が押してしまったので次の目的地に移動開始。

歩いてここまできました。

途中乗り換えを挟んできた場所はこちら。

ミスタードーナツ1号店です。

 

またみすどかよ、そうです。またミスドです。笑

2004年に再オープンした1号店は2020年に改装され、1971年開業当時の内外装にリニューアルされました。奇しくも2020年はコ○ナ元年となってしまい、この4年間中々訪問できませんでしたがついに来ました。ついにです。

椅子なんかも当時を再現したモノに。凝ってます。

店内にはこんなモノも。

で、限定ドーナツをお持ち帰りで購入したら大雨。ダッシュ箕面駅まで戻りました。
(ドーナツは親戚宅でおいしくいただきました)

梅田まで戻ってきました。

ほんでかつては全国各地に有ったものの現在ではここでしか稼働しないからくり時計をみて(???)

以前から気になっていた今里筋線にも乗車し、

ミスド2000号店(新大阪)の存在を確認しつつ(???)

やはり千里中央行きを記録し、

地下鉄で親戚宅まで戻りましたとさ。

3/21(木)

最終日。

親戚宅の地ともまたしばらくのお別れ。

またしばらくといいつつも、夏か冬に行く気満々なんですけどね。
その時は・・・誰かと行きたいです。

帰りは新幹線。

いつかさくら・みずほ号にご乗車してみたいと発車標を見て思いながらも。

ひかり654号で帰京。僅かな節約ではありますがひかり号だと安いんでね、ハイ。

座席。行きは211のロングでケツが痛くなったのとは大違いです。非常に快適です。
が、個人的にはコンセントがあるのが助かりました(爆)

※撮影時は気が付きませんでしたが何気にこの時点で既に充電しています。笑

在来線では見ることのできない視点で富士山を見ました。
やはり風景にも魅力あるのが東海道新幹線ですね。

なんだかんだあっという間に東京駅に到着。そして、帰宅しました。

 

実は大阪自体は年末年始にも行ったのですが、ずっと車移動で親戚宅関係以外ほとんどどこにも行けなかったこと、そして趣味系が何一つ見れなかったため今回行くことを決めた次第です。

まぁ、なかなかよかった旅行だと思います。
今回宿泊に協力してくれた親戚宅の人にも感謝申し上げます。

以上、関西旅行2024春の記録でした。

関西旅行2024春記録(前編)

久々の旅行記録です。

今回は関西方面の旅行です。

行きは18切符で、帰りは新幹線を利用しました。
宿泊に関しては、親戚宅全面協力です。本当にありがとうございます。

3/18(月)

朝9時ごろに出発。最寄駅から乗り継いで上野東京ラインにお乗り換え。

JREポイント(600pt)を利用しグリーン車に乗車。
3月16日の改正より長距離利用は値上げしていますが、ポイント交換は据え置き。
相対的にポイントによる利用がよりお得になっています。

一気に都内から熱海まで。

熱海駅で浜松行にお乗り換え。ここからJR東海区間となります。
ダイヤ改正により熱海発のロングラン列車が増えたものの、211系運用だとやはりロングシートということもありキツめ。さらにお手洗いもないため、前後の列車か列車待ちの駅で済ませておく必要があります。

とはいえ、211系も既に譲渡に向けての動きが本格化しており、211系運用によるロングラン列車が運転されるのも近い将来見納めになると思われます。

ということで浜松に到着。ここで豊橋行きに乗り換えます。

そして終点の豊橋で大垣行きに乗り換えます。

大垣でさらに米原行きに乗り換えます。

ここまで来るとJR東海区間の末端、いよいよ関西地域に入ります。

米原でお乗り換え。ここからJR西日本区間となります。

ここまで来れば後は一本で京都・大阪、果ては姫路、そして播州赤穂まで行けます。

数分遅れましたが、無事大阪駅に到着。

ここでJR区間は終了、18切符を使うのもここまで。

大阪駅から地下鉄四つ橋線西梅田駅まで乗り換え、親戚宅のある四つ橋線の終点、住之江公園駅まで乗車。

ここから親戚宅まで歩き、親戚宅に到着したのは20時ごろなので、なんだかんだ10時間ぐらいかけてたどり着いたことになります。流石に疲れました。

3/19(火)

前日と同じく朝9時頃に出発。親戚宅からレンタサイクルで最寄りのJR駅まで。

なんだかんだ大阪環状線まで私鉄・地下鉄で行こうとすると200円以上かかってしまうので、少しでも節約するために長居駅まで来ました。

阪和線普通で天王寺駅まで。

天王寺駅環状線に乗り換え、大阪駅まで。

そこから新快速姫路行きに乗り、終点姫路まで乗車。

で、何をしにきたのかというと・・・?

この103系のためにわざわざここまできました()

とはいえ関東からは既に撤退済み。残るのはここ姫路の播但線、そして加古川線と九州に残るのみです。

と、いうことで。

一駅散歩しましたw

駅名標

ということで乗車。(一駅だけですがw)

車内はリニューアルされているとはいえ、往年の雰囲気を感じることができました。

まもなく運用終了予定と言われているので、記録はお早めに。

そして秒で大阪に戻ってきましたw

来たのはここ、JR難波。地下駅で、他の難波駅とは少し離れています。(地下鉄四つ橋線だけは近いですが)

続いてのお目当ては201系。こちらもまもなく運用終了予定ですが、103系と異なり全国で運用されているのはここ大和路線のみ。つまり、大和路線から引退する=201系終了ということになります。

かつては関東でも中央線快速や、京葉線(水色)でお馴染みでしたが、10年以上前に関東からは撤退しています。

またもや数区間のみの乗車ですが、新今宮まで乗車。

ここで乗り換えて、南海で親戚宅まで戻りました。

後編に続く

てんどんまん ソロ

前編「ゆうぽうと」もどうぞ。(※ただし今回の記事とは無関係)

てんどんまん ソロ

ご存知でしょうか。「てんどんまん」とはあのアンパンマンに出てくるキャラなのですが、そいつがソロで踊る動画が3年前話題になりました。

内容はてんどんまんが屋外ステージでひたすら踊るという動画。

ただそれだけなのですが、人が写らないことや、特に(てんどんまん以外の)声がないというシュールさも相まって一時期話題になりました。

2024年では「チピチャパ」や「ハッピーハッピー」が流行っていますが、2021年の春から夏にかけては、これにドハマりしていた記憶があります。

 

さて、そんな「てんどんまん ソロ」ですが、実はこの動画の場所が思ったよりも近所だということが以前から判明していて、ずっと行こう!とは思っていたのですが、話題に上がらなくなって忘れていたこともあり行けていませんでした。

が、ようやく暇という暇を持て余した時が来たので、この機会に行ってみようといってみたわけであります。

いざ現場へ

場所は都電荒川線(自称:東京さくらトラム)の荒川遊園地前駅から少し歩いたところ、あらかわ遊園の裏・川沿いにあります。

・・・と、いうことで。

少し最寄り駅よりも遠いですが、都営三田線西高島平駅までやってきました。

普通に最寄り駅から行くよりも、ここから都営共通で使用できるフリーパスを購入した方が、安く済みまた別の場所にも行けるということで、今回はここまで来ました。

流石に都営三田線の末端区間なので、乗客はまばら。しかし、都心に近づくにつれ平均的な地下鉄の混雑具合になりました。

西巣鴨駅で下車し、都電荒川線にお乗り換え。そこから、都電に揺られること十数分。

無事、あの「てんどんまん ソロ」の聖地に到着しました。(笑)

動画的にはおおむね、この角度で撮影していたといったところでしょうか。

動画内で「キケン!注意」の張り紙がされ、三角コーンで囲まれていた所は修復されていました。流行ったのは3年前ですが、動画自体は10年以上経過していることを考えると、月日の流れを痛感します。

ステージを正面から。

あの日、ショーを正面から見ていた人は、天丼がソロで舞う姿をここから見ていたことでしょう。

逆に、てんどんまん視点も。

ここから見えるあらかわ遊園の観覧車、実は数年前に建て替えられたもので、天丼が舞った当時とは姿形が若干異なっています。ステージは変わらず。

 

以上、「てんどんまん ソロ」の聖地巡礼でした。

たまにはこういう聖地巡礼をするのも、アリですね。(?)

ゆうぽうと

ゆうぽうと

 

殆どの人は知らないと思いますが、私はこの単語に強烈な懐かしさを覚えます。

 

とはいえ知らない人が多いと思いますので簡単にご紹介。(ほぼWikiですが)

↑詳しくはこちらから

詳しいことはこのWikiのページに書いてありますが、簡単に要約すると「2015年まで五反田に存在した、日本郵政が建物を保有していた複合施設の"名称"」ってことです。

 

 

とはいえ、別に私はこの施設のことを知らないですし、特に関係もないのですが・・・

何故か、私はこの「ゆうぽうと」のロゴが刻印されていたシャープペンを中1~中2の頃に所持していました。

どうして手元にあったのかは詳しくは覚えていませんが、元々は祖母の家にあった物だと記憶しています。残念ながら、中2の頃にはその刻印が消えてしまい、かつ当時のい○めっ子に破損されてしまいシャープペンとして使用できなくなったため、既に破棄しています。ちょっと悲しい。

それがなんだよ、っていう話なんですが、実はかなり思い出の物だったりします。

小学生までは校則?ルール?だったと思いますが、そんなお約束により、シャープペンを使用することができませんでした。(中には守らない輩もいましたが)

しかし中学生にもなれば流石にシャープペンが解禁され、私はこの「ゆうぽうと」が刻印されたシャープペンを多用していたわけです。

で、中学校の序盤、中1の最初ともなれば、色々出会いもあるわけです。特に私の通っていた中学校はマンモス校ということもあり、沢山の生徒が在籍していました。(中3の頃には新校舎が増築されるくらいにはいましたw)

そんな中で、部活に所属することになり、まぁ今も昔も変わらず運動嫌いでPC好きな自分はPC系の部活に所属するわけです。

そこで同じ趣味を持っていた人と仲良くなるわけなんですが
(なんなら今でも関わりが続いているのですが)

その時に笑いのネタになったのが・・・「ゆうぽうと」だったわけですねw

なんか、語感が良かったんでしょうね。あとロゴw

 

話は3年後。高校入学に飛びます。

その時仲良くなった人も含め、それ以降に仲良くなった人たちとも離れ離れになってしまい、それでも本来なら新しい環境にも慣れて徐々に新しく友人とかもできるのが、普通なのですが・・・。(なんならそうなると思っていた)

悲しいことにそうはならなかった、というわけです。

それでも部活を辞めるまではまだマシだったのですが、部活を引退した去年6月以降が特に悲惨でした。

なんとか、部活が同じで関わりがあった方と同じクラスだったので、完全孤立とまではならなかったものの、その方は基本一人で行動されるタイプの人なので、必然的に関わっている自分サイドがぼっちになっていくという・・・。(でもそれですら高2の末期よりはマシだったという事実が怖い)

 

あんまり長く話しても中身がなくなってしまうので、高校3年間と中学を比較して、なんとなく、なんとなくですが中学の方が、と最終的になってしまいました。

で、なんでそうなってしまったのか。この記事を書いている今もずっと考えていますし、今後大学入学、その先の就職をするにあたって、この反省を活かし改善しなければならないと考えた時に、何かダメだったのか、何を忘れていたのか。

そんなことを考えていた時に、ふと頭をよぎったのが・・・「ゆうぽうと」でした。

 

今考えたらそんなに面白いかな?とも思ってしまいますが、その時一緒に笑って、仲良くなった友人は、今でも関わりを持っています。あの頃から今にかけて、お互いに異なる趣味も持っていますし、昔ほど気軽に会うこともできないのも事実です。

 

でも、初心を忘れないことは大事だな、そう思い、ある場所に向かいました。

残る「ゆうぽうと」へ

前置きが非常に長くなってしまいました。誠にごめんなさい。

今回はそんな懐かしき?そんな「ゆうぽうと」を求めて、小さな旅に出かけた話です。

とはいうものの、前述の通り五反田にあった「ゆうぽうと」は既に閉館済み。跡地は「五反田JPビルディング」という建物に変わり、残念ながらゆの字も引き継がれないまま、新たな別のビルとなってしまいました。

ところが、「ゆうぽうと」の名称自体はロゴと共に都内の別の場所に残っていました。

それが、「ゆうぽうと世田谷レクセンター」でした。

特にこの施設に用はないのですが(笑)、かといって思い出のペンの現物は既に破棄してしまいましたし、いつこの名称がこの世から消えるのかも分からないので、記録しに行ってきました。いやでも普通になにしてんだろ?まぁいいか。

これが「ゆうぽうと

ゆうぽうとそれは確かに実在していました。

特にこの施設に一切関わりもないのに、何故か懐かしさが込み上げてくる不思議。

今考えれば、亡き祖母の置き土産だったのかもしれません。

ペンに刻印されていたのは横向きVer.だった記憶があるので、ある意味これが原作(?)通りのロゴでしょうか。

と思っていたらもっとデカいのがありました。この謎にポップなロゴ。誰が作ったロゴなのか。ちょっと興味はありますw

隣の注意書きにもロゴがあったので一応。

注意書きのフォントはWindowsおなじみの「メイリオ」なのに、ロゴはちゃんと正式なものを用いる謎のギャップが少し面白いです。

 

ということで以上。

短いですが、あんましウロチョロしてるのも迷惑ですし、施設に用があるわけでもないのでね。

 

(マジレスするとレンタサイクルの返却時間が迫っていたためです。)

おまけ

このためにわざわざ二子玉川まで来たので()

これだけでは面白くないですしせっかく来たので、ついでに少し東急の乗り潰しもしました。暇ですし。

ちょっと乗ってみたさがあった多摩川線も。元々は、東急目蒲線として目黒~多摩川~蒲田を結んでいましたが、2000年に目黒~多摩川目黒線の一部、そして多摩川~蒲田を多摩川線として系統分離(分割)されました。

多摩川線は2000年以降変わらずのままですが、目黒線の方は2000年の分割時に多摩川より先の武蔵小杉まで延伸された後、2008年に日吉まで延伸されました。

そして2023年に東急新横浜線が開業し、東横線と共に目黒線も直通。東横線の方は既にみなとみらい線と直通していましたが、目黒線はそれまで日吉止まりでしたので、事実上の新横浜延伸とも言えます。

またその先相鉄とも相互直通を開始したため、今では目黒線に多種多様な車両が走っています。

一方の多摩川線は直通運転をしておらず、近代化を果たした目黒線こと目蒲線の目黒~多摩川とは対照的に、かつての目蒲線に近いまま路線として継続しています。

目黒線となった区間は最大8両化され、相互直通により多種多様な車両が来る上、駅舎等の設備も更新されましたが、多摩川線の方は比較して古いまま残っており、ある意味かつての目蒲線は分離により2つの風景を生み出したとも言えそうです。

・・・って、この記事タイトル名に反して目蒲線の記事になってしまった。

では、最後に一言。(無理やり)

ゆうぽうと