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ゆうぽうと

ゆうぽうと

 

殆どの人は知らないと思いますが、私はこの単語に強烈な懐かしさを覚えます。

 

とはいえ知らない人が多いと思いますので簡単にご紹介。(ほぼWikiですが)

↑詳しくはこちらから

詳しいことはこのWikiのページに書いてありますが、簡単に要約すると「2015年まで五反田に存在した、日本郵政が建物を保有していた複合施設の"名称"」ってことです。

 

 

とはいえ、別に私はこの施設のことを知らないですし、特に関係もないのですが・・・

何故か、私はこの「ゆうぽうと」のロゴが刻印されていたシャープペンを中1~中2の頃に所持していました。

どうして手元にあったのかは詳しくは覚えていませんが、元々は祖母の家にあった物だと記憶しています。残念ながら、中2の頃にはその刻印が消えてしまい、かつ当時のい○めっ子に破損されてしまいシャープペンとして使用できなくなったため、既に破棄しています。ちょっと悲しい。

それがなんだよ、っていう話なんですが、実はかなり思い出の物だったりします。

小学生までは校則?ルール?だったと思いますが、そんなお約束により、シャープペンを使用することができませんでした。(中には守らない輩もいましたが)

しかし中学生にもなれば流石にシャープペンが解禁され、私はこの「ゆうぽうと」が刻印されたシャープペンを多用していたわけです。

で、中学校の序盤、中1の最初ともなれば、色々出会いもあるわけです。特に私の通っていた中学校はマンモス校ということもあり、沢山の生徒が在籍していました。(中3の頃には新校舎が増築されるくらいにはいましたw)

そんな中で、部活に所属することになり、まぁ今も昔も変わらず運動嫌いでPC好きな自分はPC系の部活に所属するわけです。

そこで同じ趣味を持っていた人と仲良くなるわけなんですが
(なんなら今でも関わりが続いているのですが)

その時に笑いのネタになったのが・・・「ゆうぽうと」だったわけですねw

なんか、語感が良かったんでしょうね。あとロゴw

 

話は3年後。高校入学に飛びます。

その時仲良くなった人も含め、それ以降に仲良くなった人たちとも離れ離れになってしまい、それでも本来なら新しい環境にも慣れて徐々に新しく友人とかもできるのが、普通なのですが・・・。(なんならそうなると思っていた)

悲しいことにそうはならなかった、というわけです。

それでも部活を辞めるまではまだマシだったのですが、部活を引退した去年6月以降が特に悲惨でした。

なんとか、部活が同じで関わりがあった方と同じクラスだったので、完全孤立とまではならなかったものの、その方は基本一人で行動されるタイプの人なので、必然的に関わっている自分サイドがぼっちになっていくという・・・。(でもそれですら高2の末期よりはマシだったという事実が怖い)

 

あんまり長く話しても中身がなくなってしまうので、高校3年間と中学を比較して、なんとなく、なんとなくですが中学の方が、と最終的になってしまいました。

で、なんでそうなってしまったのか。この記事を書いている今もずっと考えていますし、今後大学入学、その先の就職をするにあたって、この反省を活かし改善しなければならないと考えた時に、何かダメだったのか、何を忘れていたのか。

そんなことを考えていた時に、ふと頭をよぎったのが・・・「ゆうぽうと」でした。

 

今考えたらそんなに面白いかな?とも思ってしまいますが、その時一緒に笑って、仲良くなった友人は、今でも関わりを持っています。あの頃から今にかけて、お互いに異なる趣味も持っていますし、昔ほど気軽に会うこともできないのも事実です。

 

でも、初心を忘れないことは大事だな、そう思い、ある場所に向かいました。

残る「ゆうぽうと」へ

前置きが非常に長くなってしまいました。誠にごめんなさい。

今回はそんな懐かしき?そんな「ゆうぽうと」を求めて、小さな旅に出かけた話です。

とはいうものの、前述の通り五反田にあった「ゆうぽうと」は既に閉館済み。跡地は「五反田JPビルディング」という建物に変わり、残念ながらゆの字も引き継がれないまま、新たな別のビルとなってしまいました。

ところが、「ゆうぽうと」の名称自体はロゴと共に都内の別の場所に残っていました。

それが、「ゆうぽうと世田谷レクセンター」でした。

特にこの施設に用はないのですが(笑)、かといって思い出のペンの現物は既に破棄してしまいましたし、いつこの名称がこの世から消えるのかも分からないので、記録しに行ってきました。いやでも普通になにしてんだろ?まぁいいか。

これが「ゆうぽうと

ゆうぽうとそれは確かに実在していました。

特にこの施設に一切関わりもないのに、何故か懐かしさが込み上げてくる不思議。

今考えれば、亡き祖母の置き土産だったのかもしれません。

ペンに刻印されていたのは横向きVer.だった記憶があるので、ある意味これが原作(?)通りのロゴでしょうか。

と思っていたらもっとデカいのがありました。この謎にポップなロゴ。誰が作ったロゴなのか。ちょっと興味はありますw

隣の注意書きにもロゴがあったので一応。

注意書きのフォントはWindowsおなじみの「メイリオ」なのに、ロゴはちゃんと正式なものを用いる謎のギャップが少し面白いです。

 

ということで以上。

短いですが、あんましウロチョロしてるのも迷惑ですし、施設に用があるわけでもないのでね。

 

(マジレスするとレンタサイクルの返却時間が迫っていたためです。)

おまけ

このためにわざわざ二子玉川まで来たので()

これだけでは面白くないですしせっかく来たので、ついでに少し東急の乗り潰しもしました。暇ですし。

ちょっと乗ってみたさがあった多摩川線も。元々は、東急目蒲線として目黒~多摩川~蒲田を結んでいましたが、2000年に目黒~多摩川目黒線の一部、そして多摩川~蒲田を多摩川線として系統分離(分割)されました。

多摩川線は2000年以降変わらずのままですが、目黒線の方は2000年の分割時に多摩川より先の武蔵小杉まで延伸された後、2008年に日吉まで延伸されました。

そして2023年に東急新横浜線が開業し、東横線と共に目黒線も直通。東横線の方は既にみなとみらい線と直通していましたが、目黒線はそれまで日吉止まりでしたので、事実上の新横浜延伸とも言えます。

またその先相鉄とも相互直通を開始したため、今では目黒線に多種多様な車両が走っています。

一方の多摩川線は直通運転をしておらず、近代化を果たした目黒線こと目蒲線の目黒~多摩川とは対照的に、かつての目蒲線に近いまま路線として継続しています。

目黒線となった区間は最大8両化され、相互直通により多種多様な車両が来る上、駅舎等の設備も更新されましたが、多摩川線の方は比較して古いまま残っており、ある意味かつての目蒲線は分離により2つの風景を生み出したとも言えそうです。

・・・って、この記事タイトル名に反して目蒲線の記事になってしまった。

では、最後に一言。(無理やり)

ゆうぽうと